モンゴルパンって何?

山ノ上マーケットでの紹介文に加筆しました。

小麦がメソポタミア周辺で栽培されるようになると、すぐさま実を粉にして水を加えて焼くという元始のパンが食べられていたと考えられます。旅をする民族やさらに肥沃な土地を求めて移住する民族たち、あるいは隊商を組んで貿易に出発点する人たちは、この粉にした小麦とその種を携えて西へ東へと移動し、移住してゆきました。その土地で種をまき、定住するものもあり、さらに旅を続ける民族、人々もいたでしょう。目的地に着いたり、どこかで野営する時などは、乾いた木や動物のフンを集めて、岩の上で火を炊き、あったまった石板の上で、水で溶いた小麦の生地を焼きました。そのパンを主食にして、僅かばかりの野菜と干した肉などと共に食べました。そしてこのパンはエジプト、ペルシャ、インド、チベット、モンゴルなどへと伝わって行き、さらにベーリング海を超えた民族から、今、北アメリカ大陸と呼ばれる新大陸へと伝わってゆきました。北アメリカのネイティブ達はフライブレッッドとよんでいます。さらに南へ伝えられ、今度はトウモロコシを原料に作られるようになりました。モンゴルパンはモンゴルの一部につたわるパンという意味だけではなく、この様に世界に広がった民族達の一万年の旅路を支えてきたパンの総称なのです。このパンはエジプトのエイシやインドのチャパティ、ナン、プーリー、ローテイ、パラタ、イタリアのフオカチオやピッザ、ピタ、トルコのピデなどの原型です。西に進んだパンはカマドとイーストを得てさらに発展を続け、フランスパンやドイツのパンなどに分化してゆきます。日本は西回りのパンを明治以降食べることとなりました。おそらく東回りのこのアジアパンもきっと奈良時代には伝えられていたかもしれません。残念ながら気候の関係かお米を選んだからか、残ってはいないようです。ですが、日本人が色々なところから集まった民族のミックスだとかんがえると。シルクロードを経て半島から渡来した人々、呉の地方からやって来たひとたち、あるいはアジアをへて
南の島々からきた人々の先祖もこのシンプルなパンをずっと食べていたかもしれません。そうすればこれは僕たちのDNAの遥かな記憶を呼び起こす懐かしい味のするパンかもしれません。一万年の旅をしているパンなのです。焼きたてのパンにうちの畑で無農薬で育てた野菜を中心に作った具をサンドして、あつあつのホットサンドで召し上がって頂いています。