すさまじい満員列車

オンボロバスを乗り継ぎ乗り継ぎ、各駅停車の列車を乗って乗って、南インドのココナツの森の水郷地帯を船で泳ぎ、ゴアのドラッグの嵐をくぐりぬけ、ようやっとたどり着いたのは大都会ボンベイ
さすがに建物も高いが物価も高い。ホテル代なんてとんでもない額。
この町でホテルに泊まるなんてウルトラ貧乏旅行の僕には無理。
絶対にこのまちの宿泊はパスするのだ。
どこの町から抜け出すときでも、寝台つきの切符を手に入れるために
何日もまたなくてはならないのに、うろうろした挙句とはいうものの
当日の切符でニューデリー行きというのがあっさり買えた。

もうこれで勝手知ったるニューデリーへ。当然寝台はついてないけど、
とりあえず、ボンベイで泊まるのは避けられた。「ま、デリーまで22時間。
椅子でずっと座ってるのはきついけど。」なんて気楽なことを考えていた。
こんなに何度もインドに来ているのに
これからどんな旅が待ってるかまったく気がついてなかった。

発車の時間を待つあいだ、
駅の構内の床の上に来しなの飛行機のなかから参加してもらった
毛布を広げ、ザックを枕に眠ったり、スケッチをしていた。
夜9時の出発の時間まで6時間以上もあったので、できるだけお金をかけずに
ゆっくりするにはそれが一番だった。
お金持ちたちはご休憩料500ルピーの控え室で優雅に列車をまっていた。
ほかの貧乏そうなインド人たちはみんな同じように荷物の上に座ったり、
床に毛布を敷いてやすんだりしていた。人でごったがえしているボンベイセントラル
駅を地べたから見るのは視点が変わって面白かった。
ちょっと食事をしようとして、構内のセルフサービスの食堂に入った。
そこで小柄で生きのいい青年が話しかけてきた。
ロングヘアーにピアスしとって、無駄な肉はないでーいう体しとって、
ちっちゃな太鼓とバンスリという笛をもって、大きな汚いバッグをさげとった。
「こんにちわー」と日本語で声をかけてきたからてっきり日本人やと思った。
肌のやけ具合といい、インドに同化しつつあるやんという感じやった。
ラスタでもなさそうやなあと思いながら、「長いんですか?」と聞いたら
反応がなくて、ずっと英語になった。日本人がふざけて英語で話してるのんかなあ
と話していたらほんまもんのチベット人やった。
ヒンディー語もできるし、英語もまずまずできるし、ボブマーレーも好きやと
いってる。けっこうええ感じのやつというのがわかった。難民の子として
インドのダラムサラーというところで生まれたといった。
テンジンという名だった。チベット人の置かれた状況や政治の話や今の
世界のことを熱っぽく話してくれた。これから僕と同じ列車で
ニューデリーへいくのだ。いろいろな話をしながら列車が構内に
入ってくるのをまった。

僕らが乗ることになっている列車は出発時間の1時間前にプラットフォームに入ってきた。
それはたくさんの荷物を積み込むインドの列車としては普通のことだった。
いつもと違うのは列車に乗り込む人たちの数だった。僕らの乗る車両は昔でいう三等だったのだ。
もうすでにかなり長い行列がずっと前からできていた。僕らは甘かったのだ。

警棒を握った警官たちが恐ろしい顔をしてこちらをにらんでいた。
警棒でこづからながら、鉄格子に囲まれた狭い道を歩かされる。
まるで囚人か家畜になったような気分だ。
「こっちからここまでは乗ってよし。」警官たちのお許しがでた。
競馬のゲートが開いたときみたいにみんな全力で列車の入り口目指して
走ってゆく。われ先に列車に飛び乗ろうとする。
列車の入り口は狭い。入り口の前はおすなへすなの団子状態だ。
こっちの車両はだめだ、あっちの車両に乗ろう。いそがなあかん。つぎからつぎへと
おっちゃんらが群がってくる。やっぱりだめだ。ここからは入れん。あっちの
ほうがましだ。ちょっとはすいてるぞ。全速で走る。こっちももう人でいっぱいだ。
もう一瞬の逡巡も許されない。よし、こっちから乗ったれ。ここしかない。
ステップに片足をかけた。後ろから押される。前から押し戻される。
入るなということなんか。どっちからも押されてつぶされそうになる。
痛い。頭をこづくな。何度も何度も足を踏まれる。頭を前の人の背中につけてなんとか
列車の中にはいりこんだ。

列車の中はさらに信じられない光景が広がっていた。


4,5人掛けの椅子すべてにもう7,8人の人がぎゅうぎゅうに座っていて、荷物を
置くはずの棚にももうそれぞれ4,5人の人が座っているのだ。
そればかりか廊下の隅々まで人が詰まっていた。自分の荷物を頭の上に
掲げて人と人の間に入り込んだが、もうこれ以上人が入れる空間が
あるようには思えなかった。
サリーを着て、赤ん坊を抱いた小柄な女の人、その旦那らしい小太りの男の人。
不安そうな子供たち。老夫婦。大きな風呂敷包みの若夫婦。ぼろぼろのサリー
ガリガリの女の人がこれまた痩せこけて目だけがギョロリとした赤ん坊に乳房を
含ませている。この人に乳などでるのだろうか。

「まだ入ってくるのか。」とみんなの目が情けなさそうだった。
僕を見る好機の目が痛い。

でも、そんなこと言うてられへん。どんどん後ろから人が入ってきて、
ぐいぐい押される。人を掻き分け掻き分け窓のそばまで行き、座席の前の
少しの空間に荷物をぐいっと押し込んでその上にへたり込んだ。
足を伸ばすことも、手を伸ばすこともできん。暑い。息がくるしい。
のどが渇く。テンジンはどこやろ。
ちゃんと列車に乗ったやろうか。座席の下の空間は荷物がぎっしりとつめられていた。
でも、座席と荷物の間にほんの少しの空間があるのを発見した。
そこに両足をつっこんで空間を広げ、体を荷物の上に滑らせて、座席のしたでなんとか
体を伸ばすことに成功した。みんなが座ってる座席の真下に滑り込んだのだ。

眠ってしまったらしい。それとも気絶していたのかもしれない。
気がついたら目の前にはずらっとインド人の足の裏が並んでいた。
列車はゴトンゴトンと音をたてながら走っている。窓からは暑い熱風が吹いてくる。
 しもたぁー 南の楽園の島にいっといたらよかった。 といつもカルカッタ
空港についた途端に正気にかえるのだ。
インドは楽園なんかじゃないのだ。魔法にかけられたかのように、何度も何度も
来てしまうのだが、インドの魅力かそれともこちらの自虐趣味か。

テンジンはあっちこっちのインド人たちにチベットのことを熱っぽく語りつづけていた。
2,3人は座れそうな場所を一人で占領しているちょっと怖そうな兄ちゃんがいた。
みんな不快に思っていたけど、何にも言えなかったのだ。この兄ちゃんが
さらに楽に座ろうとして自分の荷物を他人の足の下に置くようにその人に命令
するとテンジンは怒ってヒンディ語でまくしたてた。
「みんなしんどい思いしてんのに自分だけ楽しようなんてひどいやんか。」
この兄ちゃんはなかなか自分の非を認めようとはしなかったが、まわりの冷たい
視線にやむなく引き下がった。

物売りたち現る。

信じられないことにこんな満員列車にもやっぱり、あまねく物売りたちが
やってくるのであった。廊下に座っている人の頭をまたぎ、時には椅子の
背もたれに足をかけ、天井の鎖や手すりや荷物置きをつたってまでも
売りに来る。売りに来る。次から次へと「チャイ、チャイ」とチャイ屋が
熱いチャイを売りにくる。片手に下げたやかんからちっちゃなプラスチック
容器にチャイをチューと入れてくれる。ほんのちょっぴりだけど
熱くて甘いチャイはほっとする。ちょっと前まではこの容器は
素焼きのコップだった。飲み終われば窓から投げすてて割ってしまえば
よかった。
列車に乗っている人は昔の癖のままプラスチック容器やビニールの包装紙やら
をポイポイと列車の窓から投げ捨ててゆく。
チャイのプラスチックのコップや弁当の発泡スチロールの容器が列車の
通り道、レールを真ん中にしてずっと散らばっている。
最後の砦だと思えたこの国も、文明とやらいうゴミの山を築こうと
しはじめているみたいだった。
テンジンは窓からビニールやプラスチックを捨てようという人
たちに「これは腐って土にならないから捨てちゃだめだよ。このバナナの
皮は腐るからいいよ。」などと一生懸命にまわりの人に話をしている。
たのもしいやつなのだ。

おつぎは生の青唐辛子入りの辛い辛い豆のスナック菓子。
ああ冷たいビールがあったらなあ。パダという豆のコロッケ。
「サモセー、サモセー」と大きな売り声はうまいうまいカレー入りの
揚げスナックのサモサ売り。
売り声はちゃんと複数形にするんや。サモサはサモセーと複数形でよんでた。
こんどは片手に2本づつ冷たいジュースのビンをもった人がカチカチとビンを
カスタネットのように動かして器用にリズムをとりながらやってくる。
うまそうに汗をかいたミネラルウォーターのボトルを入れたバケツを
担いでくる水売り。「タンダーパーニー、タンダーパーニー」冷たい水のことだ。
みんな生唾をゴクリとやる。でも、10ルピーもするのだ。飲みたいけど、節約するのだ。
持参のもう暖かくなってしまった水筒の水にしておくのだ。
無駄使いは禁物。でも、みかん売りが来てしまった。やっぱり3個5ルピーは買っとこう。
お次はきゅうりだ。まるまる一本の大きめのきゅうりに縦の切り込みを入れて
そこに塩と香辛料をまぶしてくれる。こりっとやると口の中できゅうりのジュースが
爆発する感じ。のどの渇きが癒される。「ケーラーケーラー」バナナ売りもやってくる。
それらしい白いターバンと白い服を着た白いひげのおじいさんが持ってきたのは
魔法の秘薬。「これはわしが調合したアーユールヴェーダの処方による秘伝の薬じゃ。
手をだしてごらん。すこしづつ分けてしんぜよう。」みんな自分の手のひらに
のせてもらった苦くて甘い秘薬を神妙な顔をしてぺろぺろなめている。
そうかと思えば時計やボールペンを売りに来る人。なぜかこの国ではボールペンが
人気がある。子供らはいつも「ボールペンちょうだい。ちょうだい。」なのだ。
鉛筆ではだめなのだ。ボールペンでないと勉強できないみたい。5色ボールペン
なんかがあってみんなの人気だ。でも、ちょっと高いで兄ちゃん。
大きな声で物語を語りながらやってきたのは薄い本を何冊も抱えている人。
いいところまでストーリーを語って、この先を読みたい人はこの
50ルピーの本を買って頂戴ね。目があってしまった人たちに
一冊一冊配ってゆく。つぎのコンパートメントでまた話をした
後、また本を回収に帰ってきた。次はシャツ、脇に抱えた3,4枚のカラーシャツ
のうちから赤いシャツを包んだビニールを破いて、胸の前で広げて、口上を
述べる。このシャツがいかに上等か、いかに丈夫で美しいか。そして
乞食たち。ちっちゃな紙を何枚ももった女の子がやってきた。
ただその紙をくばってゆくだけだ。紙にはヒンディー語と英語と地元の
言葉でこう書いてある。「私の父親は交通事故で死にました。母親も死にました。
親戚もいません。どうか私にお金をめぐんでください。」うつろな目の女の子を見ると
なけてきそうだ。だが、この印刷した紙はどういうことだろう。だれか親切な人が
作ってくれたという訳なのか?どうやらバックに誰かいててお金だけ巻き上げてそうやなあ。
ちっちゃな鈴をならし、朗々と歌うのは5,6歳の姉妹たち。悲しい歌姫たち。幼い方がお金を集めにまわる。
みんな少しずつ財布からパイサ玉を出してあげている。
ひからびそうになったおばあさんが赤ん坊を抱いて床にヘタっている。
恨めしそうに目に訴えてくる。ゆっくりあがってくる手。手の平には1ルピーにも満たない
ジャラ銭をにぎっている。10パイサ玉が3枚ほど。ここでは誰もが生きるために自分のできる
ことを精一杯やっているのだ。

だんだんニューデリーに近づいてくるうちに少しずつ人が入れ替わり、減ってきて、しまいには
座席にすわれるようになった。体の疲れや眠さにもかかわらず、どんどん元気になっていった。
日本で身についてしまった垢がとれていくような気がした。あと2時間でつくといわれたときには
もううれしくてめちゃめちゃハイになってしまった。
テンジンもいっぱい友達になった人たちと楽しそうに話をしている。
僕もあちこちの夫婦や子供たちと仲良くなった。さっき買ったみかんやバナナがあっちにいったり、
こっちに来たり。笑顔がいっぱいだ。とうとう車掌は一度もこなかった。そうなんや。
つまり、この列車はただ乗りができたんや。ようやっとこんなに殺人的に混雑した理由がわかった。
そして僕がなんともインドに来てしまう理由もわかったような気がした。